カテゴリ:日記( 11 )

 前回、生産者の側から見た、桃の家のお料理についてお話しました。

今回はお客さまのことです。

こういうことは聡美と意見を交わしたり、前もって打ち合わせしたりというのはないんですが、
おそらく私と聡美、そしてあき津や加豆美の間でも食い違いはないと思うので、自信を持って書けます。

桃の家のお料理のコンセプトというのは、簡単に言ってしまえば、「一番大切な人に出すお食事」ということです。

まず、うちでお客様に提供してきた食材と、うちの子達に食べさせてきたものの間に、ほぼ違いはないと言って
いいと思います。

どんなに生産者が大事と言っても、うちの子たち=お客様が一番大事であることには換えられません。

原発事故のあった東北や関東の生産者や流通の方々とのお付き合いは、それは大事なものではありました。

けれど、それとお客様=うちの子と同列に論ずることはできなかった。

この点について、迷いがなかったかと言えば嘘になります。

それらの方々との取引を停止することは、まさに断腸の思いでありました。

今考えても涙が出ます。

特に、大磯で一番の魚屋さんである(と私たちが尊敬していた)魚龍さんや魚作さん、
素晴らしい魚介を提供してくれていた三陸水産との付き合いは、私たちにとって珠玉のものでした。

これらの方々は、私たちが「申しわけないけれど、しばらく買うことはできない」と言った時に、
なにも言わず、すべてを受け入れてくださいました。

魚龍さんはその後健康を害されて閉店してしまいました。

三陸水産とは今でもお付き合いがあります。
ただし、三陸のものでないものだけを購入しています。
本来、胸を張って三陸産のものを売りたいに決まっていますから、
やはり申し訳ない気持ちを持ちは、どうしてもあります。



そういったたくさんの人たちの思いと苦労を、すべて無に帰したのが原発事故です。

だから絶対に許せない。

それが私の原発に対する思いです。

ちょっとお料理の話とは離れてしまいましたが、概ね桃の家の仕事というのはこのように行なってきたことは
間違いのないところだと思います。

その態度は尾道へ移転しても、変わることはありません。

ただ場所が変われば、お出しするお料理も変わることでしょう。

新桃の家のお料理がどんなものになるか、それは私も楽しみです。

それを堪能する日を楽しみにしている、私もそのひとりであるのです。
野尻記
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by momonoyaoiso | 2016-01-02 18:03 | 日記
作っていない私がこの題名で書くのもなんですが、
横で見ている者の方がわかる、ということもあるでしょう?

聡美が一切の手抜きをせず、毎回全力でお料理をお出ししているのには理由があります。

そのうちのひとつを、今日はお話します。

うちで使っている食材は、野菜も穀物も肉も魚も卵もお茶類も味噌も醤油も酒も塩もその他すべてについて、聡美独特の観点に立って厳選しています。

選ぶ視点として、生産者が経済性に絡め取られず、うちと同様に肥料や餌や原材料について厳しい態度で選び、召し上がって下さる消費者の方々の健康と、野菜や動物や菌類の健康を同義として捉え、本当に全身全霊でその食材の生産に携わっているということが重要です。

一口で有機栽培、自然農法と言っても、今日思い立って明日からできるというものではなく、長い途方も無い苦労の結果、ようやく販売できるレベルの野菜が作れるわけです。

りんごの無農薬無肥料栽培に日本ではじめて成功した木村さんという方が、8年間ひとつの実もならず9年目にしてようやっと一個のりんごを収穫した、というのは有名な話です。

以前見学に行った朝霧の牧場では、牛が走っていました。しかも笑いながら!
良い環境で育てられているので、人懐こく寄ってきます。いわゆる牛歩というのを初めて見ましたが、一歩一歩慎重に、けれど間違いなく私に興味を持って、500kgはあるかというホルスタインが30頭ほど歩み寄ってくるのです。健康で幸せな牛でなければ美味しくしかもからだに良い乳は出してくれない。そういう生産者の方の信念が伝わってくるような体験でした。

第三世界の生産物を、きちんと産地の人たちにも利益がまわるような流通方法で輸入しているpeople treeのような業者も応援してきました。大手の商社と競合するわけですから、強い信念がなくてはできません。

やまゆり生協は土壌の放射線量の無料測定サービスを行っています。
大磯でも間違いなくセシウムは降り積もっており、眼に見えなくても気を抜けないことがよくわかりました。


ことほどさように生産、流通にあたる方々のひとかたならぬ苦労があって、はじめて桃の家のお料理はあるのです。

だから聡美には、その最前線に立って、そういう皆さんを代表してお客様にお料理をお出ししているという気持ちを持って仕事に臨んでいるのでしょう。

だからどうしても手を抜くことができません。

今も娘とふたり、台所でとんとんとんと音を立てています。

この音をここで聞くのも、あと何回か。

何度喧嘩をしても、聡美のそういう姿を見てしまうとどうしても尊敬せずにはいられません。


今日は食材を作ってくださる方々に焦点をあててお話ししました。

次回はお客様に焦点をあてて。

どうぞお楽しみに。野尻記
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by momonoyaoiso | 2015-12-17 19:00 | 日記
『我が生涯に一片の悔い無し』

かの有名な漫画「北斗の拳」のラオウ昇天の時の言葉です。

地上最強を賭けた弟ケンシロウとの戦いに敗れ、ラオウは冒頭の言葉を吐いて死んでいくのです。
この日記を読んでくださる方々には全然わからない状況だと思われますが、私などはこのシーンを涙なしで観ることはできない、まあそういった日本の漫画史上に残る1シーンであることは間違いありません。

彼らは戦闘者として文字通り死力を尽くして戦ったわけで、そこが読む者に無上の感動を与えるわけです。




漫画と一緒にするな、と言われること請け合いですが、、、。

全身全霊を尽くして生きることを整体では『全生』といいます。

『溌剌と生くる者にのみ深い眠りがある。
生ききった者にだけ安らかな死がある。』

生を全うする、という意味で野口先生が仰った言葉です。


整体には色々な素晴らしい智恵や言葉がありますが、この全生というのは体現すべき究極の生き様であって、仏教で言えば悟り、キリスト教で言えばアガペー、安倍総理ならば改憲(笑)みたいなものと言ったら差支えがありましょうか。

なにしろ究極、ですから、私などがどんな言葉で表現してみたところで差支えだらけに決まっています。そうなればもうこっちのものなんで、反対に気が楽ってもんです。はっはっはーだ。




だけど、一言で全生などと言うけれど、私は全生してますなどと言える人っているでしょうか。

なかなかこれだけは本当、と言えることって少ないけれど、この件に関して『私は言えない』と、
これだけは間違いなく言えてしまいます。

ここまで55年間生きてきてなにかひとつでも満足のいくことってあるのかなって、大磯の桃の家が幕を閉じる日が刻々と近づいてきた今日この頃、よく考えます。

自分は本の少しでも、全生のかけらでもかじることができたのか。

なにかもぞもぞと動き回ってきたように思うけれど、なにかひとつでもまともにやれたことがあったのか。

考えて、いつもひとつの結論に至ります。

何回考えても同じ結論。

ここまで26年間、聡美と一緒に生きてきたこと。

そして桃の家を営み、あき津と加豆美を育ててきたこと。

これだけは一片の後悔もない。

いつでもどこでも、誰にでも言えるこの事実。

たったひとつだっていいじゃないか。

確かにそう言えるものがあるのだから。

生きていらっしゃったらきっと岡島先生だって褒めてくれたさ。

『野尻君、勘が良かったね』って。

ラオウのように一片の悔い無しとは言えないけれど、私は言える。

『わが生涯に一点だけ、悔い無し』
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by momonoyaoiso | 2015-12-15 18:31 | 日記
今日は放射能のことを書きます。

放射性物質に関する最重要部位は、盲腸(虫垂)です。

盲腸は右の下腹、腸骨の角の内側にあります。

盲腸はよく、何の働きをしているかわからない臓器などと言われ、盲腸炎にならないようにと切除してしまうという話を聞きますが、そういった考えはとんでもないものだと私は思います。およそ人間の体の中で不要な部位などというものはなく、またこれはこの世に存在するものすべてについて言えることだと思います。

この盲腸を、下から上に17回擦りあげるということをします。これが放射性物質の体外への排出を促すための技術なのです。あまりに簡単なのでびっくりされたことでしょう。ちょっと有り難味がなくて、人に教えるのをためらうこともあるのが難点ですね。

17回というのはいかにも中途半端な回数ですが、これがまさに整体らしいものなのです。

数えてみるとわかるのですが、16回などはとてもきりがよく、完結、という感じがします。
擦りあげるという動作を行っている(指示している)のは間違いなく脳であって、体ではありません。
体の調整を脳ですべてやってしまうというのは健康を損なうための早道とも言え、最後は体に任せるということが大切なんです。
だからわざと中途半端な回数にしておく。

これは膝の操法などでも同じで、膝のお皿を上げたり下げたりするのですが、最後は必ず下げて終わります。
勿論膝は上がっているのが良いのです。良いというか、自発的に行動する体勢がそこに表れているのです。
それで、何故最後に下げておくかというと、最後は膝が自分の力で上がる余地を残しておくためです。

この辺が整体特有の考え方で、慣れていない方にはわかりにくいかもしれません。説明するというのは難しいです。感性の問題ですので。

今日は放射能を例としましたが、結局は体の本質、健康の本質ということがこの話の中に表れていると思います。

人間がこの世に登場した数百万年前といえば、既に放射線量はかなり減少していました。しかし生命が誕生した十数億年前には地球はまだ有害放射線に満ちていました。海から陸に生物が上る時に、海上に出た瞬間に死んだものが多かったそうです。水が放射線を遮蔽するというのは、福島の事故に関心のある方でしたらご存知だと思いますが、そういった過酷な環境に打ち勝って生命はこの地球に存続することができたのです。

私たち人間の体も、当然放射線ごときに勝てないはずはないというのが私の考えです。

勿論は相手は強敵ですから、何の心配もいらないなどというのは非科学的でよくない考え方です。

それなりに注意して必要な処置、例えば前述の盲腸の擦り上げやできるだけ内部被爆を避けるような予防策を行えば、悲観的になる必要はない、ということを私は言いたいのです。
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by momonoyaoiso | 2015-04-04 22:38 | 日記
インフルエンザが流行り始めました。

大磯地区の学校ではまだのようですが、二宮ではもうずいぶん多くの子が罹っているようです。

近いうちにこちらにもやってくることでしょう。

インフルエンザは風邪と違いあまり歓迎できる病気ではないのですが、普段からしっかり水を摂っていれば、また足湯などで冷えを取っていれば、一直線に熱が上がり、その後下がります。

特に先天的に弱い場合などを除いて、こじらせるのは冷えと渇きの影響です。

実を言うとうちの家族は今まで誰もインフルエンザに罹ったことがないのです。
勿論予防接種などはしていません。

というより、うちでは高熱が出たとしてもそれだけですぐに医者に行くということはないので、
そういった診断が下されるチャンス(?)がなかったという方が正確です。


では、どういう時に医者へ行き、どういう時は行かなくともよいのでしょう。

これはかなり重要な問題ですよね。

特に子育て中は頻繁にそのような判断をしなければなりません。

しっかりとした判断基準を持たなければ、不安が高じて、赤ちゃんがくしゃみや咳をしたと言っては医者に行き、8度熱が出たと言っては夜中に救急病院へ車を飛ばす、ということになりかねません。

これでは自分で病気と闘う体力を養うこともできず、弱い子に育ってしまいます。

かと言って、放置してとんでもないことになるのも怖い、、、。



整体ではこんな時の判断基準をはっきりと数値で示しています。



うちでも勿論、家族の誰かが40度程度の高熱を出したことは何回もあります。

娘が2歳の時、ヘルペスに罹り40度近くの熱を出しました。

はあはあと苦しそうにしていますが、「大丈夫?」と尋ねるとにっこり笑ってこくりと頷いたことをよく覚えています。

娘は風邪を引いた時などよく逆腹式呼吸(お腹が息を吸った時にへこみ、息を吐いた時に膨らむ)になって苦しそうなこともありましたが、結局一度も医者へ行くことなく21歳を迎えています。

大人の私たちも若い頃は良く熱を出しました。私も39度以上が3日間続き、一週間で10kg体重が落ちたこともありましたし、連れ合いは30代半ばではしかに罹りました。

それでも医者に行くという判断をしなかったわけですが、まあ、一般的に言えば無謀、ということになるでしょうね(笑)。

しかし、それは単なる信条とか主義とかそういうものではありませんでした。

きちんとした根拠があったのです。

それが表題の一息四脈です。

呼吸を一回する間に脈が四回打っている時に、人は絶対に死なないのです。

例えば一分間に呼吸が20で、脈拍が80.とか、25と100とか、回数ではなく、比率が問題です。

インフルエンザでもはしかでも、それは同じです。

苦しそうに見えても、測ってみると驚くくらい正確に一対四。

そういう時は少しずつ水を摂りながら、後頭部に愉気をしたり足湯をしたりしていれば自然に熱が下がりますから、私たちは安心して経過を待つことができました。

ただし私たちも普通の親ですから、始めの頃はやはり不安もありました。

大丈夫かな、と思ってもう一度測ってみると、やっぱり一対四。

何回測っても一対四。

医師の世話になるべき機会というのは思ったより少ないものなんです。

では、出産以降我が家では一度も現代医学の力を借りなかったかと言えば、そうではありません。

一度だけ息子の一息四脈がくずれたことがありました。

私はすぐに医者に行くことを決断しました。

診断結果は肺炎。

9日間入院しました。

私は2日目から息子のベッドに泊り込んで、日夜愉気をしたのです。

最初は肺炎に対応して胸鎖乳頭筋に。

その後は薬の弊害をなくすために肝臓に。

不安な一週間が過ぎ、息子が遊び始めた時の感動は忘れません。

同時に息子をそんなに危ない目にあわせてしまったことへの痛烈な反省から私は月に一度、4年半の間、経堂の岡島先生の道場へ整体の稽古へ通いました。

今、こうして皆さんに整体的子育てについてお話できるのには、そんな背景があるのです。


娘も息子も、小さい頃から自分の力で病気を経過させて生きてきましたから、今では長期間極寒のヨーロッパで農作業などを行っても大丈夫くらいの体力は身についているようです。


皆さんにお子さんの脈拍と呼吸を測ってみることをお勧めして、今日のお話は終わりにします。
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by momonoyaoiso | 2014-12-27 01:59 | 日記
 サマーヒルでは、自分にのみかかわることは最大限個人としての選択の自由が許されている。

 毎学期の初めに、子どもたちはスタッフと相談しながら自分のやりたい科目を選ぶ。それぞれが選んだ科目にしたがって調整し、一人ひとりの時間割をスタッフが作ってくれる。もちろんひとつもやらないと決めても問題ない。また、自分のとった科目でもその日行きたくないと思えば行かなくてもよい。

 ただ、自分が出なかったときのレッスンを次に出たときにもう一度やってほしいというのはNG である。既にそこまでの勉強が終わっている他の子たちに迷惑がかかるからだ。そういう場合でも、スタッフに個人的に頼めばその分の補講はやってもらえたりする。

 娘は、最初の学期「ネイティヴでない子のための英語のレッスン」というのをとった。数回出た後で、スタッフに「おもしろくないからやめる」と言った。その頃彼女は絵本作家になりたいと言っていたのを知っていたスタッフは、「絵本作家になるには読み書きは必要だと思うよ。僕と一緒に writing a story のプライべイト レッスンをやらない?」と誘ってくれた。

 休みで帰ってきたときに彼女は「まず自分でお話しを考えるでしょ。それは日本語。頑張って英語に直してレナードに話すの。そうするとレナードが正しい英語に直してくれる。今度はそれを書く。ものすごくたいへんだったけど、ものすごく楽しかった。」と話した。

 息子は初めての学期が終わった後の休みに家に戻り、「ママ、次のタームは1こもレッスンとらないからね。いいでしょう。」と宣言した。

 サマーヒルは寄宿学校だが、生活の面でも同様に、出された食事は自分の食べたいものだけ食べればいいし、お風呂だって入りたくなければ入らなくてもいい。

 そうは言っても子どもたちは何故かとてもおなかがすくので(1日中遊びまわっているからなのか)、誰に聞いても最悪の評判の食事を結構何でも食べているようだ。

 息子は1学期の間3度しかお風呂に入らないこともあった。1学期が約3ヶ月だから1ヶ月に1回の入浴だったわけだ。帰ってきたときに、足首に黒い輪っかができていた。お風呂でこすっても容易に取れず、何度か洗ってようやくきれいになった。
 ただ、あまりお風呂に入らず同室の子達に迷惑が掛かる場合(臭い!のだそうだ)は、オンブズマン(*1)を呼ばれたり、ミーティング(*2)に訴え出られることもある。

 子どもたちは、それまで家庭や学校でしなくてはいけないとされていたことを「やらない」と言うことから始めるらしい。縛りが強かった子どもほど「やらない」期間は長いそうだ。

 いずれにしても行ってからしばらくは、子どもたちはひたすら遊ぶ。
 そのうちに子どもたちは退屈になり始める。
 誰も「〇〇をやりなさい」とは言わない。
 自分がやりたいことはなんなのだろう?
 そこから改めて自分と向き合うことになる。

 と、いう・・・。

*1オンブズマン:子どもたちとスタッフの間から投票で選ばれる、調停役。
*2ミーティング:スクール ミーティング。子どもたちとスタッフが学校内での様々なことを話し合う場。

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        アートルームで


さ                                                                (つづく)
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by momonoyaoiso | 2014-12-16 19:30 | 日記
大磯編 -1-

魚龍さん①

 線路沿いのこの店に何度通ったことだろう。シャッターが閉じられたままになって早1年が過ぎた。

 おじさんが立つ大きなまな板の横で、その仕事ぶりをつぶさに眺めながらいろいろ教えてもらうのがとても好きだった。

 整体っ子の補食(一般にいう離乳食、実は全然違うものだけれど)は、生後50日を過ぎた頃生卵から始め、バター、チーズ、ビーフステーキ、レバーなどの後、魚へと進む。最初は白身の刺身だ。
 
 初めて食べた魚は娘がホウボウ、息子は赤ムツだった。その日大磯で上がったもので、おじさんが作ってくれた。

 ふたりが寄宿生活をしていたとき、帰ってきて真っ先に食べたいものといったら、よそでは決して食べられない、おじさんの刺身だった。もちろん大磯上がりの白身魚のである。

 連れ合いの親戚の家族がうちに食事に来てくれたときに、おじさんのヒラメを食べてもらった。あとで、それまで刺身が苦手だった子どもがあのヒラメを食べてから刺身を食べるようになったと聞いた。

 おじさんはお客さんが「子どもの分はいらないから」なんていうのを聞くと、さすがにその場では言わないが、後で「何で子どもに食べさせないだよ。親が我慢しても子どもに食べさせるだよ。」と怒っていた。

 ある時、お店の前で順番を待っていたら、おじさんが私の前にいた人に「丸元さんは何にするかい?」と尋ねた。あれっと思ってよく見ると丸元淑生さんだった。私は以前丸元さんに仕事をお願いしたことがあり、「丸元先生・・・」と声をかけご挨拶した。その前年に大磯に越してこられたとおっしゃった。

 丸元さんが帰られた後おじさんが「丸元さんってのはなんかの先生なのかい?」と私に訊いた。

 丸元さんの本は若い頃にとても参考にさせてもらった。図書館に行き久し振りに著書を見ると、おじさんの店で調達したと思われるような魚を使った料理がいっぱい載っていた。その後町で丸元さんの講演会があったときに、「お勧めの魚屋さんは?」の質問に「魚龍さん」と答えていらしたそうだ。                       

 さ
                                                             (つづく)
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by momonoyaoiso | 2014-11-28 00:38 | 日記
 最近、子どもを育てる環境についての話を若いお母さん達としている時、「サマーヒル」のことを持ち出しても、あまり反応がない。そういったことに関心のある人たちの中でシュタイナー教育やサドベリースクールは有名だが、サマーヒルのことは誰も知らないようだ。
 
 実際、今サマーヒルに在籍している日本人はわずか3人の男の子達である。うちの子どもたちがいた2003年から2010年の間は常に10人前後の日本の子どもたちがいた。
 ちょっとさびしい状況なので、改めて紹介しておきたい。

 サマーヒルスクール(Summerhill school)は、スコットランド人A.S.ニイルによって1921年にドイツで創立された。
 
 ニイルは、第1次世界大戦後、このような悲惨なことがおこるのは人々の心に恨みや憎しみが蔓延しているからだ、それから脱却し新しい世界を作っていくには、それまでの強制と脅しの教育ではなく、子どもたちを愛と信頼の下に育てていく以外にないと考えた教育家たちのひとりだった。

  「まず、子どもたちを幸せにしよう」とニイルは言い、サマーヒルはその実践の場になった。
 
 2 年後イングランドの南、ライムリージズに移り、さらに1927年にサフォークのレイストンに落ち着き、現在に至っている。うちの子達もここで過ごした。

 子どもたちとスタッフ計約100人の小さなコミュニティーで、寄宿が中心であるが、サマーヒルに通うために家族でレイストンに越してくる、デイキッズと呼ばれる通いの子どもも少数いる。

 フリースクールという言葉を初めて使ったのはニイルで、「子どもたちは自由な状態のときに最もよく学ぶ」という彼の信念から来ている。
 
 現在日本でフリースクールというと、いわゆる「学校に行かれない子のための居場所」ということになっているようだが、もともとフリースクールにはそのような意味はない。
 日本では既成の学校に行くこと以外の選択肢がほぼないので、それ以外のものを公も社会も(また個人のレベルでも)学校と認めないという特殊な事情があるのだろう。
 
 日本以外の国では、フリースクールは学校の選択肢の一つに過ぎない。

 サマーヒルに影響を受けてできた学校は、アメリカのクロンララスクールやサドベリースクールなどをはじめ世界中にあるが、日本でも1992年に和歌山県できのくに子どもの村学園が設立され、その後も数を増やしているようだ。  
 日本人がわざわざサマーヒルに行かなくてもすむようになってきたのかもしれない。
 
  ニイルは人が幸せな子ども時代を過ごせる場所が、世界中にできることを望んでいた。
 サマーヒルと同じものを作る必要はない。むしろ作る人によって違うものができるのがいい。サマーヒルよりももっとすばらしい学校ができるかもしれないと、新しい学校を作りたいという人を常に励ましていたようだ。

さ 
                                                              (つづく)                                                                       
              
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by momonoyaoiso | 2014-11-26 12:30 | 日記
だいぶ長く書けませんでした。
やはり他に集中していることがあると、書けないものです。
それも一昨日で終了しましたので、再開しますね。

さて、妊婦が日常行うべきことが3つあると言いました。

今日はその3つ目。

それは、話しかけです。

赤ちゃんがお腹の中で動き始めればそういうことを考えるお母さんも多いかと思いますが、受胎後、できるだけ早い段階からお話しする方がいいでしょう。

お腹に手を当てながら、何でもいいから話してあげて下さい。

今日は気持ちいいねとか、生まれてくるのを楽しみにしているよとか、お父さんは優しい人だよとか、できればポジティブなことが望ましいけれど、それ以前にまず、お話するということが大事です。お母さん、今日は困っちゃった、でも何も話しかけないよりはずうっとましです。

段々と赤ちゃんもそれに反応するようになります。

ぐるっと動いたり、足を伸ばしたり。

きっと笑ったりもしていることでしょう。

以前NHKで放送していたのですが、お腹の中にマイクを入れて聞くと、お母さんの声ははっきりと聞き取れるのです。面と向かって話しているのと同じかそれ以上に、赤ちゃんはお母さんの声を聞いています。
いつでも聖人君子である必要はありませんが、赤ちゃんは聞いているという自覚は必要です。

それに比して外から話しかけた声は、もごもご、と何を言っているのかわかりません。
父親は既に、出だしの時点からハンディを背負っているというわけです(涙)。

ただ、声の質は記憶に残るでしょうから、優しく話しかければ、ちょっとだけ覚えていてくれるかもしれません。
あ、この声、聴いたことがある、あの優しい声!などと思ってもらえるかもしれません。
だからお父さんも諦めずに、たくさん話しかけてあげてくださいね。

このように話しかけることは、散歩や自働運動より重要だと私は思います。

人の人たる所以は、言葉で意志を伝え合うことでしょう。

話せばわかる。争わなくとも。

それは、人に対する信頼そのものです。

自分の赤ちゃんに、他人を信頼し、言葉を信頼し、そして自分を信じることのできる人間になって欲しくない人はいないでしょう。

そして、そういう風に生まれてきた子は、例外なく落ち着いていて、頭の良い子です。

自分は認められている、愛されている。

そう感じることがどれだけ人間の能力を開発するか。

想像に難くはないでしょう。

そうだ、今日の稿の最初に「受胎後、できるだけ早い段階から」と書きました。

そんなに初期から赤ちゃんはお母さんの話しかけを理解してくれるのでしょうか。


生き物というものは人間でなくともコミュニケーションを求めるものです。


不可能と言われたりんごの無肥料無農薬栽培を実現してしまった木村秋則さんは、農薬や化学肥料を施すかどうかという問題以前に、作物たちの周りを歩き、様子を伺い、時には話しかけること、つまり植物たちとコミュニケーションをとることが、元気でおいしい農産物を育てるために一番重要なことだと仰っています。

花を育てたことのある人には、自明のことかもしれませんね。

植物でもそうなのですから、動物においては言うまでもないことでしょう。いわんや人間をや、ということです。



相手を理解したい、自分を理解して欲しいと願うこと。

そしてその為に、言葉を尽くして話しかけること。

このこと抜きに、子育てを語ることはできません。

いや、人間を語ることはできないのです。 の
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by momonoyaoiso | 2014-05-26 20:48 | 日記
前回、赤ちゃんの食について書きました。

赤ちゃんの時は、育てるという言葉の99%が栄養を満たすということを意味します。

だから前回書いたことは重要です。

しかし、子育ては赤ちゃんが生まれてから始まるものではありません。

それでは遅すぎる、とは言いませんが、遅いことは確かです。

子育ては、お腹に赤ちゃんがいると気付いたその時から始まります。

実はこの時期のことは、生まれてからどう育てるのかとか、何を食べさせるかなど以上に

赤ちゃんの発育に重大な影響を与えるのです。

では妊婦はどんなことを心がければいいのでしょう。



妊婦の日常には3つの基本があります。

まず散歩。簡単過ぎて安心したでしょう?

でも2つだけルールがあって、行き先やルートを決めてはいけません。

また、ひとり(お腹の赤ちゃんとふたり)だけですること。

これ、けっこう難しいみたいです。

私は男ですから妊婦のようなお腹になったことはあっても

妊婦になったことはないので、みたいですとしか書けませんが、

目的を持たずに歩き始めるという経験は、なかなかないものでしょう?

散歩をする意味は、運動ということ以上に

ゆったりと、精神的肉体的に完全に解放された状態で出産に臨む準備というのが

その本質です。

骨盤を全開させる準備、とも言えるでしょう。

とにかく緩むということが大事で、妊娠中の禁忌事項に目を使いすぎることがありますが、

目を使うということは集中するということ、

集中するということは骨盤が閉じるということだからです。


次に挙げる自働運動というのも体を緩ませることに関連します。

私に整体を教えて下さった岡島先生は自働運動と呼んでいましたが、

整体の祖、野口晴哉先生は活元と仰ったそうです。

錐体外路系の機能をUPさせる、などと言っても書いている本人も

殆どわかりませんが、その効用を簡単に表現すれば

この運動をすると体が野蛮になる、となります。

体が野蛮というのは、整体では最上のほめ言葉だと野口先生も書いています。

意識する前に欲するものに手を伸ばし、危険から身を遠ざけ、必要な時に必要な病気に罹り、

人の手を借りずとも勝手に治り、前よりも健康になってしまう。

雑菌にもストレスにも強く、深く眠り、朝はバチッと目が覚めて、快食快便。

これが整体で言う野蛮。

どうですか?あなたも野蛮な体になりたいでしょう?

ではその自働運動というのはどうやるのか。

これを実際に見せることなしに説明するのは至難の業ですが、

諸先輩、諸先生方のお叱りを怖れずに言えば、

正座して、目を瞑り、のびをしあくびを出しながら、少しだけ体を左右にゆする。

涙も鼻水も出しっぱなしにしておく。

そのうちに体が自然に動き出す。途中で止めない。

周囲から見ると踊っているように見えたり、ちょっと危ない人に見えたりするが

全然気にしないで、動きを出し切る。

動きが自然に止まったら、できれば少し仰向けになって休む方がいい。

汗をかくので、よく拭いておく。これは絶対にしておかなければならない。

ということは、タオルを用意する必要があるということです。

トランス状態と決定的に違うのは

「あの、〇〇さん」と声をかけられた場合に「はい何ですか」と平然と答えられるというところ。

体は動くに任せているけれど、自分を見失ってはいない、ということです。

本当は3つの誘導法というのがあって、それをやってから自働運動をするとかなり動きが出やすいのですが、

それはやはり文章だけでは説明できません。

とにかく「正座して、目を瞑り、のびをしあくびを出しながら、少しだけ体を左右にゆする。」を毎日実践することです。


これでふたつ。

このふたつは妊婦でなくともどんどんやるべき健康法ですが

最後のひとつは妊婦のみに適用される、というか、

妊婦だけにしかできないものです。

だけどこれは次回のお楽しみ。

ちょっと疲れたのでまた今度。

世界中の赤ちゃんとお母さんの幸せを祈りつつ、おやすみなさい。


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by momonoyaoiso | 2014-05-08 23:29 | 日記
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